たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.66


自己と他者の境界、何となく分かってきた気がする、所詮他人は他人、自分と関係はない、どう思われてもいい、等身大の自分が分からないが、等身大の自分で受け入れてもらえればそれでいい、この自分が嫌なら離れてくれて結構、このスタンスが本来の付き合い方なのだろう、強者のスタイル、かと言って、相手に気遣いをしないというわけではない、その場の空気、他人への気遣いや距離感、絶妙な調整をしているはずだ、その加減を学ばないといけない、この俺が嫌なら、離れてくれて結溝、とまでは言えない、それこそ、俺はこういう人間だ、と同じじゃないか、それを言える程の確固たる自分を持ち合わせていないし、言える立場でもないと思う、自分が思っている以上に周りからは小供ぽく見えているだろう、どことなく頼りない、未熟な、 アダルトチルドレンのような雰囲気が漂っているはず、この〜だろう〜なはず、もいらない考えだ、自分で操作できないことに頭を悩ませても仕方がない、それこそ無駄なことだ、時間の無駄だ、全ての悩みは起きていないことに頭を抱えることから始まるのではないか、近い未来も遠い未来も

野球部のメンバーと飲むことになった、数人は実に8年ぶりの再会だ、再会と言える程深い時間を過ごしたわけではないが、何にせよ、大きなイベントだ、こういう場に呼んでくれるだけで有難い、他のメンバーはその間にも何回も会っているから尚更有難い、それだけ会っていなくても呼んでくれるのだ、これは本心だけどこの考えも弱い者の考え方なのか?そりゃメンバーだから呼んで当然だろというスタンスが正しいのか?傲慢すぎないか?感謝できることに越したことはないだろう

HHCが規制され、THCHが規制され、大麻グミの馬鹿共によってHHCHまで規制されるではないか、下戸の救いを奪わないで欲しい、弱者への希望を!

 

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