たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.43


キツイわあまりにもキツイ、自分が分からない、余計に分からない、2015年までの自分とそれ以降明確に変わってしまったことに気がついた、友人を見れば明白だ、あまりにも違う、真面目になりすぎた、もう戻れないな、辛いな辛いな嫌になる、自分の責任なのに、死なないかな、なんでそんな真面目なの優しすぎる意志が分からない怖い純粋すぎるいい人すぎるある意味素直すぎる申し訳なくなる、分からない、辛い殺してくれ、みんな器用すぎる、思った以上に不器用なのかもしれない、感情がないと思われる、それは全てを必然だと考えるようになってしまったからかもしれない、何が起きても相手がどんな人でもそれは自分に対して必要だから起きた、だから相手に対して何かをぶつけることがない、できない、自分の人生という自覚がない、主体性がない、何故こうなった、本当に本当に分からなくなった、何者なのか?何を考えているのか?客観的なようで全く客観的ではないのかも、客観的すぎて混沌としてしまったのかも、本来の自分とは?何に対しても考えすぎてしまうらしい母親日く、 ああ無気力、生きていく自信がない、もう終わりにしたい、人が70の結果を残すのに70を必要とする一方で僕は100を必要とする、上手く言えないけど、何者にも化けれる自信がある、でも全て見せかけ、ピエロだ、中途半端だから見破られる、離れていく、自分からは絶対に離れられない、何故なら意志がないから、僕はうまくやれるだろうか、 みんなうまくやれるだろうか、ピエロを演じている自覚がない、本当の自分はこれだと言えないからだ、何かとは言えないけど、ドロドロとした、凄く重たい重油のような意識体が居座っている気がする、分からないけど、

優しい人間は見た目以上に当人はつらいものです、優しい人間はなぜ優しいか、それは他人にぶつけない、向かわない、求めないからです、意識的ではなく気質的に、何かあると負の感情のベクトルが自分に向かうのです、だからよく押し負けます、利用されます、そして、あからさまに嫌われることはありませんが信用もされません、愚痴を吐きたくて話しますが、愚痴の聞き手に回って終わる始末、優しい人の怒りや負の感情は表に出ることなくその人自身の中だけに堆積し、発散や別のエネルギーに転換する術を身につけなければ自殺さえしてしまうでしょう

優しくしている自覚が全くないのが怖い、当たり前すぎる、そもそも自分は優しいのか?見せかけなのでは?優しいとは何だろう、でもこう言われるということは恐らく世間的には優しすぎるのだろう、もう嫌になる、静かに消えたい、本当に消えたい、接し方が分からない

周囲の人からどう見えるかを知る機会が少しあった、マイペース、シャイ、気が抜けてる、やる気がいい意味でない少なくともパッと見では、真面目、いい人、優しい、といった感じではないのかもしれない、猫を被っている?気が抜けたような感じか、、、ギャップを作るのは難しいな、気が抜けてるけどエネルギッシュ的な、気が抜けているようで実際に抜けてるんじゃダメだろ、気が抜けているようで真面目はどうかな、気が抜けているようで純粋はそのままか、気が抜けているようで男らしい、これがいい、そんなようなことを言っていた、男の子だもんねみたいな、男らしさを出せばいいのか

いい人は周りがいい人ばかりで良くされて育った、という解釈があるらしい、正しいかもしれない、僕の周りは本当にいい人ばっかだった、本当に嫌な人を知らない、いや、嫌な人でも、先に書いたように全て必然で必要だから起きるという解釈をしているので嫌な人と認識することができない、というのが本音かもしれない

他の人ならとっくにキレているであろう事も笑って許してくれた、次も許してくれるのだろうか?もしかしたらとっくに怒っているのでは?あの言葉は最後通牒だったのか?次はあるのか?不安が募り人は優しさを恐れはじめる

優しいい人の特徴、あるサイトから、過去に傷付いた経験がある、傷付けた経験もある、悲しみ苦しいことを経験している、優しくされると嬉しい、優しくしたいと思わせてくれる相手が素晴しい、明るくて元気、素直で正直、波がなく穏やか、包容力がある、マイペース、洞察力がある、芯がある、否定せず共感する、本当に優しい人は注意や叱ったりできる、誰にでも公平、困っている人フォロー、察して動く、聞き上手、動物や植物に優しい、気の使い方が尋常じゃない、物を大切に使う、言葉遣いが優しい、否定しない、陰口を言わない、変化に気付く、一途、連絡はマメ、好かれていると勘違いしやすい、いい人止まり、裏がありそうで怖い、怒ると怖い、周りの基準を上げてしまう、信用できない、誰にでも優しいと頭が悪いと思われる、もしかしたら僕は他人に興味がないのかもしれない、期待しない、興味がない?それか自分に対してあまりにも興味がありすぎるのかもしれない、ギャップが酷いのかもしれない、興味がないわけではない、その人がどんな人なのか物凄く気になるしもっと知りたくなる、違う"無責任” なのだ、分かったかもしれない、人に怒らない叱らない指摘もしない、嫌な空気は避けようとする、臆病な自己中だ、肯定する、励ます、褒める、全て"無責任"なんだ、他人に対して責任を持つべきなんだ

人当たりが良く、好感度も高いが関わるうちにその人らしさを感じ取れないことが目立つ、主義主張が分からない、好き嫌いが分からない、個性やアイデンティティと呼べる部分がぼんやりとして分からない、優しいこと以外の部分が見えず近寄り難い、安心感はあるもののどこか壁を作っているようで関係が進み辛い、他人の機嫌を損ねないように振る舞い、喜ぶ言葉を口にして求められる役割をこなす、しかし誰に対しても優しくしようとするため本当に相手の事を思って行動してるのか疑問を抱かれる、そして優しいけど他人に無関心な人が出来上がる

他人に寄り添う優しさがある一方で、何事も全て自分で背負い込めば上手くいくという自己中心的な考えがある、他人に関心がないからこそ、他人にも責任があって向き合う必要があることも、全部自分に責任があるからと平気で奪ってしまう、他人との衝突を避け責任を肩代わりし自己犠牲を厭わない、優しい人のように見えるが他人が自分の未熟さに気づき学習するということに考えが及んでいない

意思が分からないってショックだな、本心を晒け出すのか?心を開けない、本当に大事なことを教えてくれたような気がする、良い意味でわがままになればいいのか?

 

f:id:kazin:20231128010858j:image