たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.84

 

こんなくだらないことを言っているのも情けない話だが、いつでも死にたいと思っている、いまこの時も、ただそれは能動的な死ではなく受動的な死だ、肝の小さい男だと思う、よくこんなひ弱な人間が一丁前に人間生活を送れているなと感心する

第二次世界大戦を含め戦時中は多くの死者が出た、同志が死んでいく中で生き残ったものもいた、生き延びた人の中には戦後憂いの思いを抱え、死にきれなかったという後ろめたい感情を持った人もいた、例えば三島由紀夫は常に自分がどのように死ぬか、何を大義に英雄的な死を遂げるかを考えていた、と猪瀬は言っている、彼には自分が病弱で健康疾患を抱えていた為、帝国陸軍への入隊が免除されたという経緯がある、仲間が死んでいく中自らは死にきれなかった、不幸にも生き残ってしまったという心残り、最終的には割腹自殺という能動的な劇場型の死を告げたものの生前は常に受動的な自殺願望を抱いていたのではないかと思う

陰陽で言えば陰に向かっていくこの感情、これは何も死に限った話ではなく、人生の岐路においてあらゆる場面で姿を現すものである、茨の道と表現されるように、困難であることを承知の上でより困難な選択をする人間がいる、場合によってはその選択によって後悔することもある、これも人間が持つ一種の特異な感情?の一つであると思う、自分以外経験したことがないため他人の考えていることは分からないが、人間は何か死に向かっていく、自分を苦しめたいというマゾヒスティックな欲望を持っていると感じる、誰にでもあるものではないかもしれない、だが確実に自分以外にも持っている人がいる、まさに今も葛藤している、欲望に従った末にもたらされる負の結果を承知していながらもなおそれに向かって進もうとしている、哀れで哀れで哀れだと思う

いつでも死にたいと思っている、この気持ちは変わらないが何か大きなものを残して死にたいという我儘で哀れな憧れがある、その大きなものは財産や子供といった物理的なフィジカルなものではなく、他者の心の中にある精神性に帰属するものである、自分の死によって"残るもの"は他者との関係性に大きく左右される、浅薄な関係性しか築けていない場合、自分の死が持つ影響力はたかが知れている、多くの人と深い関係性を築くことでその影響力は増幅する、よって死ぬなら徹底的に死ななければならない、この稚拙で卑怯な自殺願望がこれ以上巨大化したいことを望む、劇化的性格とでも言うのだろうか、この一連の自殺に関する考え方は一言で言えばかまってちゃんなのだ、かまってちゃん以外の何者でもない、とにかく注目して欲しい、これに尽きる、死ねる場面があれば率先して死んでいきたいと思う


明日は不確かだけど今生きて感じてるのは確か

人の感情は不確かだけど感情が大事なのは確か

自殺しちゃダメなのは確か永遠がないは不確か

まあ命はいずれ終わる確かなら今を楽しもうじゃないか

 

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