たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.23

 

人の優しさが心に染みる、包んでくれるようなあの優しさは何なのか、宮崎さんのような、余計に苦しくなってしまう、優しくされることが怖いのか、他人の怒りや嫌悪の心はもっと怖いが優しさも違うベクトルでの怖さがある、優しい人が好きだ、ああ恥、恥の連続生きていることが恥そのものだ、 存在が恥、生きたくない、殺してほしい、受動的自殺願望、恥ずかしい人間、生きてちゃいけない人間、死ぬのが待ち遠しい、怖くない、一昨日?自分の経験上一番大きい地震があったが、何も怖くなかった、命に関わるような揺れではなかったが、一層のこと死んでしまいたかった、事故死でもいい、何かが殺してくれることを望んでいる、死を人質に生きる、猪瀬直樹

「僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然分からないのです。生きていたい人だけは、生きるがよい。人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もあると思うのです、生きていきたい人は、どんな事をしても必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にはあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪ではないと思うのです。僕は、僕という草は、この世の陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きてきたのも、これでも、精一ぱいだったのです」 お気に入りの文章だけど死ぬる権利云々は嫌だ。僕は生きたいと思う権利、死にたいと思う権利を人間は持っていると思うけど、死ぬ権利はないはずだと信じたい。寿命を決めてはならないし、決められないと思う。そう教えられたというだけかもしれない。結局僕は死にたいと思いながら日々この世の中を生き抜いていかなければならないんだ。ああ悲しい、ああ苦しい。

ところで最近、自分がなぜ絶望しているのか分からなくなりました、自分がなぜ生きる気力をこんなにも無くしてしまったのか。バイトは順調、不満はほとんどありません。大学は単位を取るだけならそれほど難しくないでしょう。卒業も恐らくできるでしょう。家族関係は全く悪くありません。感謝しかありません。友人は少ないですが、地元にも東京にもいます。肌の持病も日頃のケアの成果もあってなんとか維持できています。車もあります。一人暮らしも させてもらっています。お金に困ればいつでも貰うことができます。将来の道もある程度決まっています。食べることに困るのはあまり想像できません。何が不満なんでしょう。僕は幸せなんでしょうか。ひとえに将来への不安でしょうか。起こってもないことへの恐怖心でしょうか。所謂世間からの目でしょうか。世間は個人ではないか、という言葉があります。世間とは何でしょうか。

欲望は罪です。理想を掲げるほど愚かなことはありません。自己の理想像なんか殺してしまえ。自分を殺したい。なぜ人間には欲があるのでしょうか。 願望なんて持たない方がいいのです。向上心なんてクソ食らえです。上を見るから悲しくなり苦しむのです。

 

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