たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.58


やはり別れは悲しいものだ、文章を書ける状態じゃなかった、悲しいというより言葉が出ない、全ての悲劇的な出来事は受け入れ難いが、時間をかけて受け入れていくことが出来る、どんな悲哀も時が解決すると思う、それが受け入れられるまで、その時間が問題である、今は除々に受け入れつつある、あれから4日5日だ、僕にしてはかなり早い方である、しかし別れ方には今もなお疑問が残るし納得はしていない、まず別れたいという意志を持つことは受け入れる、残念で悲しいけど、それは1つの形で起こり得ることだから仕方がない、次に別れの伝え方がある、問題はここにある、今回はこれがなさすぎた、これが全て

別れを伝える側にも辛い気持ちがあるのは分かる、しかし、傷を付けたり付けられたりするのは覚悟の上で告白すべきだと思う、正直に言うべきだ、それが相手への誠意、尊敬だと思う、もしかしたら言わないのが優しさかもしれない、でも僕はそう感じない、号泣しあって憎み合いながらでもお別れの場は fece to faceであるべきだ、それが最後の最低限の相手への尊重だと思う、ちゃんと向き合ってきた相手にはちゃんと最後まで話すのが筋だと思う、何故こんな終わり方にしちゃったの?

仮に気持ちが消え、新しい人が出来た、浮気だとしてもだ、理由を隠し突如と態度を変え距離を置く、こちらが自分の非や理由、話したい意志などを訪ねても一切答えない、一方他ツールでは察しろといった行動を次々と載せてくる、対話はなしにアピールだけ、荷物の受け渡しも拒否、全ての行動においてやってはいけない、いや、自分が望まない方法で伝えてきた、残念だった、文章で別れ、裏切られてしまった感覚だ、何故話さない?何故話せない?全てをさらけ出してきたあなたには半端な気持ちで向き合って来たつもりはない、ギリギリ生活費がある、俺には闘志の火がある、金なくても最高に楽しい日がある、自分に非がある

ここまで書いてきて思うのは、別れた女につらつらと文句を垂れるのは非常に恥ずかしいということかな、改めて学ばせてもらった、何から何まで、良い時間だった間違いなく愛おしかった、終わり方だけ間違った

恋愛はチャンスでないと思う、私はそれを意志だと思う、愛は、最高の奉仕だ、みじんも、自分の満足を思っては、いけない、人間は一生、人間の愛憎の中で苦しまなければならぬものです、のがれ出ることはできません、理窟はないんだ、女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なものだと思う、人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う、この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか、いつもいつの時でも僕は忘れはしない愛に終わりがあって心の旅が始まる

自分は理屈ぽい人間だと思う時がたまにある、理屈ぽさについて以前書いた(ひろゆきの話)が、自分の本能や欲求に直面するのを避けて知性や観念に逃げる、気持ちを素直に出さず知識で欲求をコントロールすることが1つの特徴と言える、これを考えると自分は真反対で非常に感情的で感傷的で動物的な人間に思える、僕はちゃんと他人を愛せる人かもしれない

 

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