たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.82

 

地元がなくなるというのは酷なことだと思う、実家が生まれ育った地から移ったり実家そのものがなくなったり、転勤族の子供なんかはそもそも地元という概念を持っていないのではないか、厳密には生まれ育った地としての地元はなくなりはしないが(物理的にも心情的にも)、とても不安定な心持ちになる気がする、突然大海原に放り出されるような、帰る場所がない、引き返せない、それは1人の男を強くする、大きなトリガーとなる

大学の友人のR.Nは沖縄出身だが、今年に入って実家を売り払い両親と家族は上京してきた、地元のコミュニティも薄くなり血縁関係による繋がりも希薄になりつつあると言っていた、いわゆる彼のゲマインシャフトが消滅しつつある(ここで社会学の知識を披露)、帰る場所を無くした彼は何かに掻き立てられているような気配がする、東京という大海原で何かを成し遂げなければならない、自分は何者かにならなければならない、通弊として自分にも少なからず似たような所はあるものの、どこか上の空で現実味がない、最悪地元に帰ればいい、土地もある仕事もあるコミュニティもある、食いっぱぐれはしない、自分には向上心はないが野望はあるという厨二病の域を超えない程度のちゃちな志があるだけだ、一方彼には何かに迫られるような、何かに駆られているような気配を感じる、アイツは俺にこう言った、親と環境は自分で選べない、生まれ育った実家や地元という後ろ盾を無くした人間には、初期の傷心さえ耐え抜くことができれば、強靭な向上心が湧いて出てくるのか、成り上がる成功の隣には絶望と孤独が待ってた、欲望にまみれたこの街は、また1人の男を強くした

地元や実家がなくなることへの憂いは、あくまで家族関係が良好で地元への愛着がある人間に生じる感情であり、そもそも地元への慈しみがなければ憂いもへったくれもない、そういった地元への憂いの感情を抱けるという点において、つくづく恵まれた環境で育てられ今もなお恵まれた環境で生かされていると感じる、溢れ出てくる涙、幸せとはなにか?

 

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