たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.85

 

先々週あたりから運転中に不安に駆られるようになった、ふとした時にこのままハンドルを手放したいと思う、高速道路では前方の車に追突したくなる、日常的に死にたいと思うことはあっても運転中に死の衝動に駆られることはなかった、ハンドルを握ったまま死に向かっていくような嫌な感覚だった、そんな感覚が続いていた昨日、車のフェンダーを傷つけてしまった

バイトに向かう最中から嫌な予感がしていた、前の車が合流の際に3台も譲っていたのを見ていつも通り文句を言っていた、普段から文句を言うたびに肝の小さい人間だとなんとか独り言をつぶやいているが、今回は本当に心の狭い人間だなと改めて痛感して恥ずかしくなった、だいたい運転中には人間の本性が出ると聞く、周囲が鉄の塊で防御され緊張が解けた状態になること、何トンもある車両を小さな人間が思い通りに動かしているという事実が脳を刺激し驕り高ぶった感情をへと変化させること、この2つが本性を引き出す要因となっていると言われている、まさしくその通りで車の外の自分は完全に偽りであると感じる、自分を更に嫌いになった、バイト先でも普段しないようなミスをしてしまった、手前味噌ではあるが自分はなかなかフォークの扱いに優れていて運転の感覚といったものが悪くないらしい、自分でも優良可で言えば優よりの良はもらえると自負しているが、昨日は操作ミスで2回ぶつけてしまった、人身ではなく破損も出さずに済んだため注意を受けることもなかったが今考えれば不吉な予兆だったのかもしれない、また、よくわからない理由でパートのお姉様方から注意を受けた際、言い方が非常に鼻についたためこっちもそれなりの態度で応じた、話を進めていくうちに自分の否は1%程度であることが分かりお姉様方も流れるように軽めの謝罪をしてきたのでこちらもそれに応じ事なきを得たのだが、普段の従来の自分なら注意を受けた時点でペコペコ謝るのがセオリーだったため今回の態度は何となく腑に落ちず気持ち悪さが残った、そんあこともあり心の余裕のなさを改めて痛感しながら作業を続けた

そして帰宅途中、赤信号に引っかかるのを避けるため月一程度の頻度で通る細い抜け道に入った際に左フロントのヘッドライトあたりを木の枝と葉でこすってしまった、左側には150cmほどの庭木が並んでいて道路側に大きくはみ出していた、薄い傷ではあるがボディを傷つけたことに一瞬ショックを感じながらもスピードを落とさず鋭角な丁字路を左に曲がった、今度はRLタイヤのスッテプ付近のフェンダーをこすった、全く持って自分の不注意と散漫な気がもたらした結果だ、あれから気分が更に落ち込んでいる、ネガティブな感情に拍車をかけるように、自分が悪い、なのに憂鬱になっている、だから憂鬱になっている、迫りくるイベントが自分の思っている以上に乱しているのかもしれない、心が落ち着かない、何をしててもどこかで邪魔をしている、精神的な弱さを感じる、自分の気質からしてなにかの暗示であると危惧してしまいそうになるが今回はあえて見過ごしたい

youtubeで流れてきたUCLAアンダーソン経営大学院教授シャー・ホームズ「人生が充実する時間の使い方」の要約動画に載っていたことをメモしておこう、人生の充実には外に出る、人と会う、没頭するの3つが重要で、孤独な時間、やらされてる時間、無駄な時間をできるだけ減らすこと、仕事を楽しむには仕事をする目的と職場での友達が重要とのことらしい

いつまでもこうして坐って居たい 新しい驚きと悲しみが静かに沈んでゆくのを聞きながら 神を信じないで神のにおいに甘えながら はるかな国の街路樹の葉を拾ったりしながら 過去と未来の幻燈を浴びながら 青い海の上の柔らかなソファを信じながら そして なによりも 限りなく自分を愛しながら いつまでもこうしてひっそりと坐って居たい

谷川俊太郎 静かな雨の夜に

 

f:id:kazin:20240429021730j:image