たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.56


まだ死ぬわけにはいかない、あと50年は生かされる、肌の悪化は自己の死だ、死んだまま生きるだけだ、北野たけしの一度目の死についての理論と似ているかもしれない、これ以上悪化させるわけにはいかない、過剰になっているのは自覚している、肌への無関心さに驚く、普通という言葉は使いたくないが、あえて使えば普通の人の無頓着さに驚愕する、自分の肌の悩みを赤裸々に語ったらハナで笑われるだろう、いや笑われたことがある、別に語るものでもない、ただ周りはこの身体に責任を持たない、当然だ、僕は他人の身体に責任を取ることができない、この身体は自分で責任を取る必要がある、だから過剰に気遣う必要があるんだ、周囲の目なんて関係ない、ひとりよがりかもしれないけど自分の身体は自分でしか守れない、徹底的に治す、歯車が狂ってしまう

恋愛リアリティショーを見た、面白かった、見てよかった学んだこともあった、ある一人の青年は自信が持てないでいるように見えた、自分の想定外のことが起き、目にすると自己統制が効かなくなるタイプの子だ、俗に言うソンヘラかもしれない、あれは嫌がられると思った、恥ずかしくて見てられなかった、しかし、 それを馬鹿にできない自分もいる、僕にあの言動はできないが、何かのきっかけで社会性を失ったとき、 あの人と似た動きをするのではないかと、いや、実際はできないが、心底に沈んでいるものは、彼と似たものがあるような気がする、彼に自己を投影することはできないが、なんとなく彼の考えていること思っていることが「分かる」のである、自分が怖くなってきた、、、

僕は馬鹿だと思う、何もネガティブ思考でメンヘラを装っているわけではない、ただ本当に何も分かっていないと思う、これから先成長しないダメ男だとは思えない、反省する力はなんとか残っているみたいだから多少は変われる可能性があると思う、でも現時点では何も分かっていない、自分も他人も世間も、何も分かっていない、死ぬまで未熟だと思いながら生きるのだと思う

ネガティブではない、決してネガティブではないんです、ネガティブだけどネガティブではないんです、しょうもないプライドが心の川底に残っているおかげで、やるべきことはやるべきという信条と成長心はあるのです、たぶん人より少しだけ自省してしまうだけです、自分をとことん落とすことに抵抗がないんです、ネガティブでネガティブでしょうがない面もありますが、 その時はもちろん、本気で喉にモノが通らないほどショックで考え込み(意味のない)、悩んでいるのですが、 常に客観的、ふかん的な目線も持ち合わせているんです、たぶんその視点を持つ人物がネガティブな僕を引っ張り上げようとあるんです、だから立てるんです

自分に限ったことではないかもれないが、当たり前ではないのにいつからか当たり前だと思い込み、その当たり前を失って始めて当たり前ではなかったんだと気づき、 自分の勘違いに失望することがあると思う、これは自分の環境人モノ関係、全てにおいて言えると思う、何もかも当たり前ではない、諸行無常、常に存在は変化するものだ、だからこそ、一度切れたらもう戻らないものもある、気持ちが無くなったらもう戻らない、時間でも解決のできないことがある、だから正面で向き合わないといけない、どんだけやっても後悔は常であるが、正直に向き合うべきだ、少しならいいやじゃない、人を試してはいけない、馬鹿がやることだ、他人はモノじゃないんだ、自分にとって 都合のいいモノではない、敬意を持って接するべきだ、思いやりを持つべきだ、当たり前のことだ、もちろん、こんなことは意識しなくても自然にやるものだ、でも自分は馬鹿だから時々見失う時がある(ありそうな気がする)、だから反省しなくてはいけない、時々思い出す必要がある、空想的なことを考えていないで目の前の当たり前にもっと向き合うべきだ

安心なんてしないでいつかは空から迎えが来るから それが今日明日かもしれないだろう 噛み締める君とのひと時を 何気ない瞬間に思う感情も言える時に伝えとこう きっと来世にまでは持ち込めないから

書き終わった後に感じる自分への気持ち悪さ、それが未熟さなのかい、ネガティブではないんです

 

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