たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.21


僕は死んでいたかもしれない、自分の思い込みであの失態を晒していたら本当に死んでいたかもしれない、恥ずかしさ情けなさから外に出ることもできなくなっていたかもしれない、神様が助けて下さった、こいつがこの失態を晒したら落ちる所まで落ち、自殺に向かう可能性があったということか、そうなる前に手を差し伸べてくださった、しかしあれは自分の発言だったのか?少なくとも僕の会話のネタノートにはなかった、だだ頭の片隅にあったのは事実だ、あの場面で出てきたのは果たして自分の意思なのだろうか、紙一重で助かった、三和という社会で僕は抹殺されていたかもしれない、もし助けがなかったらどうなっていたか、想像もできない考えたくもない、自分の臆病さを褒めなければいけない、慎重な性格が故に命拾いをした、積極的な性だったら死んでいたかもしれない、いや大胆で恐いもの知らずが失態を犯したとしても死にはしないだろう、その人が持っているメンタルは僕とは比較にならない程強いであろうからこのメンタルにしてこの臆病ありとでも言うのだろうか、自分のできないことをやってはいけない、根本的な性格は変えてはいけないし変えられないものだ、少し欲が出て自分の許容量以上のことをやってしまったらその先は死と絶望があるだけだ、だからできないことにはできない理由があり躊躇すべきだ、失敗から学ぶとはそういうことだ、助かったけど何も生きる希望を見出したわけではない、絶望がまた1つ増えて過ぎ去った、相変わらず死がまとわりついている、少し明るい、悪い何かが消えた?ただこの事実に感謝しなければならない、事実そのものなのか、ここの現実を司る神のようなものなのか、何に感謝すべきか分からない、間違いなくついさっき起きた現実、この事実に感謝すべきだ、僕は死ななかった、死ねなかった、まだ続けるということか、希望はない

どうせなら絶望したかった、死ぬしかないくらい追い込まれたかった、何で助けたんだ、なんて言ってみたかった、結局僕は苦しいものから逃げたいんだ、苦しいのは嫌だ、間違いか正解かなんてきっとないんだ、ただ今があるだけ、目の前の現実だけが全てだ、チャンスが来てそれを失って、また次のチャンスを探す、ひたすら欲望に真っすぐだ、でも本気ではない、本気で掴む気がない、だから情けないんだ、死ねば良い、テーブルでスタンバってたって何も運ばれちゃこないのに、明日こそきっとって戯言抜かして自分を変えてくれるエピソードをただ待ってる木偶の棒そうしていれば時間だけ無駄に過ぎるよ
プライドとは何なのか、恐ろしく厄介なものであることは間違いない、プライドを捨てるとは何か、どうやってやるんだ、プライドを捨てたら楽になるのか、それは自分の死ではないか、プライドって何だ、尊厳と同じなのか、プライトは捨てたいが自分を殺したくはない

 

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