たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.9

 

久しぶりに字を書く。7/20から休みだったので約一ヶ月くらいかな。軽井沢から帰ってきた。一番大きい収穫はハルナやユウカと話せたことだと思う。同じ空間を共有するだけでも価値があると思うが会話の力はやはり大きい。自分は旧軽に行っても対して楽しめないことに気づいた。食べないし買わないし唯一楽しかったことが写真店で軽井沢の昔の写真を見たことだ。30分くらいはいたと思う。その後は庭園のような場所で1時間ぐらい座っていた。アウトレットへ行っても何も買わなかったし所詮そんなもんだ。じいちゃんの「涅槃」や「こころ」読むのとピアノが弾けたこと星空がきれいだったこと別荘の外で寝たこと。白糸の滝へ行けたのは良かった。ただ感動や楽しかった記憶はなかった。友達や彼女と来ていたらまた違ったのかもしれない。結局「滝」だけでは楽しめないと思った。自然に対する感性がないことが原因か?自然を見て何を感じ取ることができるのか?自分にはわからない。人工的に整備され観光地化された場所だからか?別荘周辺の何もない自然のほうが何となく思うことがある。感動なんてものはないが心と向き合うことができる。白糸の滝はダメだった。いやただ人が沢山いたからかもしれない。もし1人だけだったらまた違うだろう。何にせよ、観光地とされている自然を見ても自分が思うようなものを感じることはできない。自分の思うものとはそもそも何なのか?

それにしても軽井沢に来ている若者の集団の属性は何なんだ?ほぼほぼ最新の流行を取り入れたファッショナブルな男たちばかりだ。ワイドパンツにタックイン、オーバーサイズのオープンカラー、半袖シャツ、黒髪のセンターパートにピアスと厚底スニーカー、WEARで見る典型的なあれじゃないか。何を話しているのかわからない。何の目的もなく人生にも大して向き合っていない。周りの友人に操られ右にならえの行動をしている。自分が一番苦手で関わりにくいと思っている奴らだ。こんなことを書いて敵意を抱えている時点でそいつら以下なのだろう。でも心の底ではこう思っているのも事実である。一方家族連れで来ている人たちはやはり違う。中にはそういった服装の人もいるが少ないと感じる。付き合うならいくつになっても家族やおじいちゃんおばあちゃんと一緒に来ているそんな人がいい。仮に友人がいても軽井沢には家族で来たい。

星空を見た流れ星も2回見た。それはとてもきれいで人間の小ささを感じる。よくありがちな感性だが、人が抱える悩みや苦しみも些細なことだと感じることができる。それと同時に人が感じる喜びや幸せも些細なことである。成功も失敗も同じである。失敗は大したことないなんて言葉をよく聞くがそれは都合が良すぎるのでは?成功も大したことではないのではないか?いいことばかり考えてしまうのが人ではあるがもう少し冷静に見たい。そして人の小ささを感じても数秒後には忘れ、また些細なことで頭を抱えてどうでもいいことに意識が向いている。現実に生きているのだから当たり前のことだと思う。しかしたまには再確認するのも悪くないと思う。人の小ささを感じてもすぐに忘れる。それも人間の無力さの1つかもしれない。

星座占いや誕生日占いなど占い自体信じるタイプではないが、血液型に関しては少しだけ信じるところもある。といっても信じる人をバカにはしない程度のことで信用は全くしない。人間を構成する血液という最も重要な体液の型が異なるのなら、人間の行動に多少の影響があってもおかしくないと思うようになった。四体液説みたいな。でも根拠を調べてもこれといった情報は出てこないしあまり期待できない。これは手相や人相に関しても同じだが、一応統計的な部分もあるらしいので全く信じないとはいかない。兄弟構成による性格への影響はあると思う。ハルナ達と話して感じた。思えば自分の友だちは長男しかいない。リーダー、カリヤ、サガ、エーキ、トミータ、タロー、ノムシン、KAZは全員長男だし、おっちゃんは1人っ子の長男だ。もちろん次男より多いのは当然だがここまで偏るのは珍しいと思ってしまう。兄弟の影響なのかは分からないがやはり根本は真面目だと思う。カズとカリヤは微妙だが。個人によるのは当然としても少なからず性格を構成する要素に関わっていると思う。

ハルナとの会話は大人な話が多い。社交辞令的な。深いところまでは入らない表面部分の話が多い。こちらも深いことは話そうと思っていないし向こうも思っていないと思う。話さなければいけないと思って声をかけているし、向こうも話すべきだと思って声をかけてくれていると思う。言ってみればかなり緊張状態でお互い会話していると思う。感覚としては友達に近い。自分の前では素を見せようとしないし自分も見せることができない。いい格好をしようとする、するべきだと思っているので正直沈黙があると気まずいし居心地がいいとは言えない。ただ話を聞いていてやはり大人だなと思うことも沢山あった。これはユウカにも言えることだ。自分は人を下に見る悪い癖がある。ユウカとの会話はもう少し自然だ、話し出して止まらなかったのはユウカと話したときだ。もちろんお互い気を使っているのは分かるし話題を作ろうとしている努力も感じるがそこまで緊張はしない。次女であること4つ下であることが関係していると思った。ハルナに比べれば素を出してくれているように感じる。実際本音で語っていると言っていたし親に言えないことも話していた。どこまでが本音かは分からないが。会話における深さとは自分の感情をどこまで見せるかだと思う。大学の内容バイトの話、これはなかなか自分の感情を出すことがない。起きている事実を並べるだけで会話が成立する。ただ進路の話や家族や友人の話となると少し違う。内容にもよるが自分の感情を見せる機会が多いように感じる。ユウカとの会話はここまで話すことができたから満足度が高いのかもしれない。自分の想像以上にタメ口だったので驚いた。でもとても嬉しいことだ。ネタの画像を送ってくることにも驚いた。人に対する自分の持っている印象なんて本当に当てにならないと思った。ハルナは自分が想像していたほどの大人には感じなかったので意外だった。やっぱり年の差はあるなと感じた。ユウカは思っている以上に大人だった。考えもしっかりしている。薄々そんな感じはしていたがしっかりと自分を持っていた。またユーモアのある部分もあった。自分はどちらかと言うとユウカに似ていると思う。一人でいいし周りの人にも期待しない。わかってくれる人はそれほどいない深く付き合いたい、一方ハルナのような社会的な面もあると自負している。