たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

悩みのタネ


今日初めて90日続けていた音読30回が途切れた、何か不安が期待よりも高くなってきている気がする、というのも、今までは受かった後のことは何も考えずに勉強のみに集中できた、今や大学生活を送ることができるのか、という方が心配だ、受かるかどうかよりも、過去問をやっても、何故かそれなりに点が取れるので緩んでしまっている、もちろん、合格点に達しているわけではない

今肌の状態が酷い(自分の食事が原因)こともあってか勉強への集中力が地の底だ、とても痛みがあるので朝起きるのが辛い、、、誰かに知ってもらいたいのかもしれない、父母はよくやってくれているが、何か違う、両親は本当に優れている、大学生活の心配要素はもちろん「肌」だ、病気じゃなかったらな〜とくだらないことを考えることは最近は全くない、もしかしたらあるかもしれない、いや無い、完壁に精神がこの体を受け入れている、もしこの体じゃなかった時の方が怖い、何を考えているか分からない 、この体だから良いんだ、本当に、健康な人を否定するつもりはない、ただ、なんとなく下に見てしまう、友達もそう、親もそう、不健康な人が優れているなど全く思っていない、ただ不健康になっている原因に対して、感心を向けないのは論外

またあれだ、たまに出てくるやつ、漠然と何かを信じて、期待しないとやっていけないやつだ、それが金なのか、友達か、生活そのものか、あるいは恋愛か、何なのか本当に分からない、実体がない、本来期待なんてものは無い方が良いに決まっている、ただやっぱり期待しないとやっていけない、もしその期待が実を結ばなくても、次の期待を深すんだろう、死ぬ直前までそれをやるのかもしれない

人はできることしかできない、怠け癖があるので今の状態を全否定して生きてきた、はず、、、ある程度、自分の弱さ、能力不足を認めないといけないかもしれない

ところで、立命館はやはり自分に合っていると思う、というか、自然と立命を目指すことを導かれている気がする、東京では立教、青学、中央は地理がなく、明治、法政のほとんどは体育が必修だ、学習院も同様、関西では同志社関学が地理なし、関西は古文の配点が大きすぎる、よって残ったのは立命館学習院の法、経のみだ、現状モチベが全くないがとりあえず立命の赤本だけやろうと思う

あおおあ、あを書くつもりだったのにおを書いてしまった、あああ、、、ダメだ、本当だめだわ、良く分からん、なんか苦しいわ、なんなんほんと意味分からん、てか、〜わって口語だと違和感ないけど、字におこすと女みたいだな、自ら進んでやってることなのに苦しいとかほざいてて草ですよ

本来はさ、京都なんか行かずに家から通うか、週○でバイトするのが一番良いんだけどさ、あ、今父親が部屋に入ってきて書いてある所見られちゃった、まあいいや、でもそれだとさ自分の欲望が納得しないよね、肌を第一に考えるなら今のが最善だよね、苦しいことを分かってて違うことするんだから頭おかしいね、あ、今ミスチルのメドレー聴いてる、やっぱいいわ、桜井の声は元気出るよね、名もなき詩になった

で、さっきじいちゃんの涅槃読み直したんだよ、うーん、なんかさ、今読んでも意味ないんじゃないかと直観的に思ったわ、intuition的にね institution だっけ?今じいちゃんがいない理由は?なぜいないの?普通さ、ああいう仕事で、生き方をしてる人なんだからさ、今の自分には必要じゃん、なんか日本語がおかしいね、おそらくあまり考えても仕方ないと思うんだよ、ただ、じいちゃんの書いた物が読めること自体には何かしら理由があるよね

いやー本当笑うわ、なんで今おらんのよ笑、色々聞きたいわ、聞きたいこと多すぎるわ、おかしいでしょ、いや、もしかしたら死んでいないのかもしれない、心と涅槃、本と会話できるかもしれない、できたらなあ、、、いいのに、まあ、それは大学入ってからだね、社会的地位や名誉はいらない、必要ないらしい、、、でもさ、じいちゃん、地位も名誉も金もあったじゃん?なんで?持ってる人が言うのは言いいけどさ、ねえ?ふさわしい人は、ふさわしい人になるようにできてるの?たぶんそうだろうな、なりたくてなれるものでもないしな、はあ、、、こんなん言っても仕方ないけどさ、何でおらんの?まあ、こんなこと考えてる時点で未熟すぎるね

大学入ってもさ、学食行けないから友達との付き合いも悪くなりがち、外食も行けない、旅行?もちろん無理だよ、行っても楽しみないしね、かと言って勇気出して行っても後悔するだけだよね、実際何回も経験してるし、 サークルなんかもちろん入らないしな、ただ、本当に悲しいことにさ、人付き合い嫌いじゃないんだよな、小学校の時なんか友達めっちゃおったし中学もおったしな、楽しかったし毎日、友達関係で悩んだことなんか一度もないや、余計に悲しいね、まあ本当に小さいことだな、大したことじゃないわ、今のうちはね

実際生活が始まったらこんな呑気なこと言ってられなくなるよね、それぐらい予想するのは容易い、、、矛盾というか、どっちもどっちなことが多いな、食事に行けない、友達ができない、それ自体大したことじゃない、ただ、現実、生活していく上では結構キツいのも事実、それによって肝心な精神が参ったらどうすんのよ、

肌も同じく、病気ばかり考えて、肌の心配ばかりしても仕方ないのは事実、ただ、肌が荒れてくると次第に精神も破綻する、そして、他の大切なことさえもできなくなる、本末転倒ってやつか、どっちがいいの、その中間なんて相当器用な人じゃないとキツくないか?じいちゃんの言う、「精神と肉体は別物」これおそらく勘違いしてるな、そういう意味じゃないはず、頭に浮かぶことに手が追いついてこない

今の体の自分で良かったと本気で思える、一見、良いことに思えるが、もしかしたら病気自体にアイデンティティを見い出しているのではないか?、もしそうならこの考えは変えるべきかもしれない、おそらく、人間は何かしらにアイデンティティを見出す必要があると思う、それは日本人なのか、男か、学歴か?、人それぞれ違う、病気自体ではなく病気を通して経験したこと、学んだことに対して特つべきじゃないのか?病気そのものに持ってしまうと、改善しなければならない意識を失ってしまうのではないか?それは危険すぎる