たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.49


何もやる気がおきない、堕落していくだけ、ダメな奴を演じないと生きていけない限界だ、どっちが自分なのか分からないです、嫌われるのを恐れていい人を演じるケースは良くあると思う、本当はクズだけど表面上はいい人、ただ自分の場合本当はクズだと思えない、人目を気にするのが本来で気遣い周囲を中心に生活し自分の信念はない、これは演じているのではなく本当の姿のように思える、本来の自分で生きているはずなのに、何故か限界だ、それが分からない、だからクズキャラとして振る舞いたいのです、ダメであればどんな自分でも許されそうな気がするのです、相手はもちろん自分からも許してもらえるような気がする、どこまで行っても根本は変えられないでしょう、吹っ切れて性格を変える努力をしても肝心な所はそのままでしょう、だから安心して変わればいいでしょう、自分はなくならないでしょう

本来の自分であるはずなのに疲れてしまうのは何故だろう、それは無意識レベルで演じているのか?結局真面目は臆病なのではないか、気が抜けない手を抜くことができないのは臆病が原因ではないか、もう限界だ、かといって道化を演じることはできない、ただダメになりたい、自分勝手になりたい、どうでもいいいじゃないか、クズにはなりきれないが振りをしなくちゃいけない、メンタルがキツイ、本当に、薬がないと生きていけない、左の傷は癒やしだ、本当にダメになるこのままだと、多分普通じゃない、何か手を打たないと取り返しの付かないことになってしまう、見てますか?どう思いますか?好きなように生きたい、上善は水の如し

 

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