たかのぶろぐ

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

草稿.4

 

キリンの親子を見た。キリンの親子2人に密着する番組で、母親はライオンに食われ子供は親が死んだため栄養が取れず死んだ。子供は親の帰りを待っていた。親は数100m付近まで帰ってきていた。親がライオンに食べられしゃがみこんだ時、一瞬カメラの方を向いたのだが表情がなんとも切なかった。死ぬ直前に子供を思い浮かべ生の終わりを意識したようだった。死を確信したようだった。子供が死ぬ場面は残されていないが、死後に思い浮かべると元気に走り回っていた映像がフラッシュバックしている。昨日からずっと頭から離れない。衝撃的だった。でも死を考えたりいつ死んでもいいやといった気持ちは薄れた。死を間近で見ると例えTV越しだとしても死の恐怖が襲ってくる。死にたいなんてアホらしくなってきた。死を間近で見ている看護師や医者、葬儀屋は死にたいと思わないのだろうか?鬱や自殺願望とそうではない自分のような薄情な死にたい感情はこれが境ではないか?死を見て実感してもそれでも死にたいのであれば本物ではないか?逆に死を見てこんなのは嫌だと思うのであれば、それは偽物ではないか。でもまだ完全に収まったわけではないが。